ゴミ屋敷にはどんな人が住んでいるのか。公認心理師の植原亮太さんは「『生きたい』という気持ちのない人は、そもそも自分の身の回りを片付けるという発想に至らない」という。最終回は、親から虐待を受け、うつ病を発症した男性の事例を紹介する――。(第4回/全4回) 【画像】ゴミ屋敷住人が「寿命を縮めるため」に酒と共に嗜んでいたもの ※事例は個人情報に配慮し一部加工・修正しています。 ■生きる意欲がなくて「ゴミ屋敷」に なぜ、ゴミ屋敷が生まれるのか。 このテーマに沿って、本連載ではゴミ屋敷問題に関連の深い精神疾患の事例を紹介してきました。①「軽度」知的発達症、②認知症、③統合失調症です。これらは脳機能障害に分類され、生まれつきか、もしくは発症によって、生活技能が低くなってしまうものだと述べてきました。ここに、本人の意思や努力などは関係がないのです。 しかし、これから紹介する④セルフネグレクトによるゴミ屋敷は心の問題によるもので、ある意味で本人の意思によって引き起こされている部分があります。生活技能ではなく生活意欲が低いがために、積極的に生きられなくなっている状態です。 ■なぜ私たちは掃除をするのか 私たちが暮らしを整え、身だしなみを気にし、清潔を保とうとするのはなぜでしょうか。それはおそらく、そうしたほうがスッキリして気持ちがいいし、周囲からも嫌われないで済むし、人生をより良く営もうとする気持ちが根底にあるからでしょう。 ところがセルフネグレクトが起きている人には、この前向きな気持ちがありません。 では、なぜセルフネグレクトが起きてしまうのでしょうか。私の経験では、そのほとんどにうつ病が関係しています。 本稿ではセルフネグレクトの名の通り、自らの人生を放棄していった男性を紹介していきます。この事例は、拙著『ルポ 虐待サバイバー』(集英社新書)には収録しきれなかったものです。親からネグレクト(虐待)されてきた人が、今度は自らをネグレクトする心の傷の痛ましさを、垣間見ることができると思います。
■生活保護受給者のゴミ屋敷 私が行政機関である福祉事務所の生活保護課に勤めていたころのことです。ある女性ケースワーカーから次のような相談がありました。 「前任者から『とくに問題はない』と聞いて引き継いだケースなんですけど、行ってみるとゴミ屋敷で、しかも精神的にもなにかありそうで……」 生活保護の現場に限らず、行政の部署は地区ごとの担当制になっています。こう言ってしまうと元も子もないですが、担当者の中には、どうせ数年で異動するのだからと、臭いものに蓋をするかのように、関わったがために面倒になるのを嫌って、事なかれ主義を貫く人もいるのです。そうして年度が変わった春先に、新担当になった旨を告げる受給者宅への訪問で「聞かされていたことと違う」と新担当が困ることになるのです。 「『部屋は綺麗ではないけど、まあ大丈夫』と聞いていたのですが、アパートはひどい状況でして」 と、ケースワーカーは続けます。 ■福祉事務所の「生活技能を補う」という役割 「軽度」知的発達症や認知症などでゴミ屋敷化してしまった自宅は、居宅清掃といって、福祉事務所が部屋の片付けを行うことがあります。もちろん公費で行われます。実際に作業をするのは近隣の清掃業者ですが、ケースワーカーがこれに立ち会わなければならないこともあります。現金などが発見されたら回収して、余剰分の生活保護費だったとして区市町村へ返還してもらわなければならない可能性も出てくるからです。 ゴミ屋敷の住人が生活保護を受けているとわかると、アパートの大家さんや近隣住民からクレームが直接福祉事務所に入ることも少なくありません。「片付けろ」「本人を追い出せ」などです。 しかし、本人の住居を奪うことは福祉事務所にはできないので、居宅清掃という選択になるのです(場合によっては、福祉事務所と病院の調整の結果で、精神科へ入院となる人もいます。病状が問題なのではなく、福祉的な介入が行き届かないがための、いわゆる『社会的入院』です)。 病気や障害で身辺の清掃にまで注意が行き届かない方もたくさんいるのは事実で、福祉事務所は、こうした受給者の足りない生活技能を補う役割も持っていると言えます。 が、こうした対応を忌避する職員がいるのも、また事実です。
■酒もタバコも「寿命を縮めるため」 話を戻します。 新担当になったばかりのケースワーカーは、訪問した際のやりとりを私に聞かせてくれました。 相手は20代後半の男性で、4年ほど生活保護を受けながら暮らしているそうです。 精神科通院歴があり、福祉事務所による医院への病状照会によると、うつ病の診断は出ていますが「部分的な就労は可」との意見が出されていました。 「就労はなさっていないということですが、お身体はどうですか?」 「悪いっすね」 「お仕事はなさらないんですか?」 「それ、前の担当にも言われたんですけど、そんな気になれないです。なんのために働くんですかね、なにをがんばればいいんですかね、もうわかんないっす」 ゴミに埋もれる居室内には大量の酒瓶が転がっていたといいます。 「お酒を飲まれるんですか?」 「飲みますよ。タバコも吸いますよ。寿命を縮めるためです。税金で生かされていることくらい自分でもわかってます。社会にとって迷惑な存在なのもわかってます」 「……そんなことないですよ」 困って口から出たケースワーカーの「そんなことないですよ」に、彼は小さく笑ったそうです。 ■「生きていたい」という気持ちが感じられなかった 私は事例の相談を持ちかけられたときには、必ずどんなやりとりが行われたのか、こちらが言ったことに対する相手の反応はどうだったのかの内容を細かく聞き取ります。ここから心理背景を読み取れるからです。 ケースワーカーは、彼と話したときのことを思い出しながら「なんだか、投げやりというか、どうしていきたいとかの希望がないというか、そんな感じがしました」と言いました。 これには私も同感でした。 単なるうつ病であれば、もう少し「ちゃんと生きていきたい」気持ちが伝わってくるはずです。しかし、そう生きられないから苦しむのが、この病です。「思い描くように生きていきたいけど、そうは生きられない」という二律背反があります。 一方で彼の場合はというと、その「生きていきたい」前提が希薄か、もしくはないに等しくて「生きられない」「生きていたくない」が一人歩きしているかのようです。正直に言うと、こういう訴えを聞くと私はカウンセラーとして危険を感じます。それはなにかというと、自死の危険です。うつ病の中でも重い部類に入ります。 カウンセリングなどの相談には基本的に、苦しみを抱えながらも、どうにかして生きていきたい、人生を変えていきたい、と思う人が訪れます。考えてみれば当然で、相談しに来ること自体が人生の解決を欲していることの表れだからです。 しかし「生きていきたい」前提がないと、そもそも相談に訪れる理由もないのです。なおかつ、いくらこちらが助けたい一心で近づいても、その気持ちが届かずに肩透かしを食らうことがあります。繰り返しますが、そんなこと欲していないし、生きていきたいと思っていないのだから当たり前なのです。 少々話がそれますが、こうした人(うつ病が重症化した人)の場合は、端から自殺予防の対策網に引っ掛かることすらありません。 私が感じていた危険と同じことを、ケースワーカーも感じていたようです。
■真冬に冷水風呂に入れられる虐待を受けていた 私は実際に彼の話を聞く機会を得ました。そこで彼が話していたのは、おおむね次のようなことです。 「ケースワーカーさんに『一度、相談してみて』と何度も言われたのが面倒臭くて来ましたけど、相談したからってなんなんすか?」 「あなたのことが心配だったみたいですよ」 と私が言うと、彼は軽く笑って、 「心配ねぇ。――別にいいっすよ、そんなの。そのエネルギーを他の人に充ててください」 私は、彼を理解する上のヒントになればと、幼少期からの生育歴を聞き取りました。彼は素直に聞き取りに応じ、以下のようなことがわかりました。 父親は酒を飲んで暴れる人だった。その父親が入り浸っているスナックの女性を妊娠させて家を出て行ったのをきっかけに、今度は母親が彼に暴力を振るうようになった。真冬に冷水の張られた浴槽に入るように命じられ、それに従った。 「わかります? じっとしていると自分の体温で体の周りの水が温まってくるんですよ」 ■「人生、もういいか」と思うようになった 父親が出て行ったのは「あんたのせいだ」と言われて煙草の火を背中に押し付けられたこともある。小学校の健診のときに傷を見られて虐待が露見し、一時保護所に入ったが、やがて自宅に戻ることになった。「母親は人前で取り繕うのは上手いから」児相相談所の人は騙されたのだと言います。これで虐待がなくなったわけではなく、中学生になるまで断続的に暴力が続いた。 「自分の体が大きくなってからは母親に反撃できるようになったから、攻撃されることは減った」。そして中学校を卒業すると、周囲が当たり前のように高校へ進学するのを尻目に、自分は上京して、やがてホストクラブで働くようになった。希望を持って足を踏み入れたが「汚いところばかりを見てきた」。そして、仕事を辞めて「生活保護を受けながら人生を立て直そう」としたが「もう、いいか」と思っている――。 そんなことを、淡々と語るのでした。 事前に目を通しておいた「保護開始時の記録」と、彼が言うことに相違ありません。だから彼が4年前と同じ作り話を、いま私の目の前でしているとは思えませんでした。 彼は苛烈な虐待を受けてきて、そこから逃れるように家を出て、人生の再起を図ったけれども、もう疲れ切ってしまったかのように私には感じられました。
■生きているのに「死臭」がした いま思うと、あの抑揚のない、どこか遠くを見つめながら話す荒涼とした様子から感じられたのは「死臭」だったのだとわかります。 病棟で働く看護師さんなどは、死期の近い患者さんから独特のにおいが発せられていると感じる方もいるようです。それは、癌などの病気で内臓機能が落ちていることによる口臭・体臭だったりするのでしょうが、ここでの意味は実際に臭いがするという意味ではなくて、その場から死の雰囲気が滲み出ているという意味です。 その後、また次週も来談してほしい旨を伝えました。約束しておかないと、もう二度と会えないと感じたからです。彼は「また来ればいいんですよね」と、来談することを了承してくれたのですが、しかし彼が再び現れることはありませんでした。数日後に自宅を訪問したケースワーカーが、ゴミが入った白いビニール袋に赤黒くなった血を吐いて息絶えている彼を発見したのでした。 「寿命を縮めるための」飲酒・喫煙のせいなのでしょうか。生前の彼はかなり痩せていて、見るからに不健康そうでしたが、福祉事務所からの検診命令(註:受給者の健康状態の把握のために、医療機関での検診を命じること)を拒み続けていたのです。「健康になったら、寿命が伸びちゃうじゃないですか」と言っていたと、後にケースワーカーが教えてくれました。 検死の結果では病死と判断されましたが、心理的には自殺に近い状態でしょう。 セルフネグレクトとは、つまり「緩慢な自殺」なのです。 ■ゴミ屋敷の成り立ちは疾患によって異なる 近年、孤独死が増えていると言われています。動画サイトには、その凄惨な「孤独死部屋」の様子を映し出すものもあります。その多くはゴミ屋敷化していて、いかに不衛生かに注目が集まりがちですが、よくよく内容を観察すると、本連載で述べてきたように、疾患によって成り立ちが異なるのもわかります。 中でも今回取り上げた④セルフネグレクトによるゴミ屋敷には、人生への希望のなさが関係しているのです。先行きの希望がなければ、部屋を掃除していくことの意味も、心地よさを求めることの意味も、失っていくのです。 見た目にだけ注目が行きがちなゴミ屋敷問題ですが、精神疾患から心の傷まで、背景はさまざまなのです。 ---------- 植原 亮太(うえはら・りょうた) 公認心理師、精神保健福祉士 1986年生まれ。汐見カウンセリングオフィス(東京都練馬区)所長。大内病院(東京都足立区・精神科)に入職し、うつ病や依存症などの治療に携わった後、教育委員会や福祉事務所などで公的事業に従事。現在は東京都スクールカウンセラーも務めている。専門領域は児童虐待や家族問題など。著書に第18回・開高健ノンフィクション賞の最終候補作になった『ルポ 虐待サバイバー』(集英社新書)がある。 ----------
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